shiro

ひとりぼっちという贅沢

私は「Xジェンダー」

2回目はセクシュアリティについてのお話です。

 

 

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タイトルのとおり、私はいわゆる「Xジェンダー」というセクシュアリティです。

 

 

 

 

Xジェンダーとは?

簡単に説明すると、男性・女性の二元論に縛られない性別のことを指します。

 

 

その感覚は人によって様々であり、自分の中に男性と女性の両方が存在する人もいれば、中性の人、そもそも性別の概念がない無性の人もいます。

 

また、気分や日によって性別の感じ方が変わる人もいます。

昨日は”男性”で今日は”女性”、または日によって男性度が40%女性度が60%といったように決まり切った形がない人もいます。

 

 

 

上記に挙げた主な四つの特徴がXジェンダーを構成しています。

 

まとめると

両性…心に男性、女性の両方が存在する。またその割合は人によって異なる。

中性…自信を男性、女性の中間に位置する性別と認識している。

無性…男性、女性という性別の概念が存在しないと感じる。

不定性…気分や日によって性別*が変わる。また自分の中の男性、女性の割合が変わる。

*この場合の性別は男女に限定した性ではなく中性や無性など幅広く含む。

 

 

 

私は”不定”のXジェンダーであり、気分によって性別が変わります。私の場合は長期的な感覚で自分の中の性別が変わっていき、およそ年単位で服の系統や髪型、性格がガラッと変わります。

 

小さい頃はこんなものか、とゆる~く考えていたのですが、年を重ねるにつれて”周りと少し違う自分”が気になりだし、その違和感はどんどん大きくなっていきました。

 

 

いわゆる女の子らしいものが昔から苦手で、小学校ではスカートを拒否し、一人だけズボンをはいて登校していた時期もありました。

男の子に見られたい!と髪も短く切っていたので、周りからは何事だと驚かれました。女の子らしくするのは嫌だったけど、周りからどうしてズボンを履いているの?と聞かれることもすごく嫌だった。

 

私は変わり者なんだと思っていたのですが、あれはまだ自覚のなかったセクシュアリティからなる行動だったのかと最近やっと理解しました。

 

 

 

私は自分の身体的性を間違っていると感じたことはありませんが、それでも小さな違和感はずっと持ち続けていました。

 

つまり、自分の身体の性と心の性が完全に異なるとは思っていません(この場合身体と心にズレが生じていると性同一性障がいの可能性がある)。

しかし、セクシュアリティの世界は少し複雑で、身体と心に大きな異なりがなくても、”女性らしく”、”男性らしく”にかなり息苦しさを感じるタイプの人も少なからず存在します。

 

 

友達と騒いで、恋バナで盛り上がって、彼氏と幸せそうで、流行のものに目がない

個人差はもちろんありますが、私の周りの女の子はいつも輝いていました笑

 

その姿を見ると、楽しそうで羨ましい、という気持ちと、あぁ、自分はあそこにはいけないんだろうなという、壁ひとつ隔たれているような寂しさがありました。

 

 

 

同じ場所で話していても、自分だけ円の外側で聞いているかのような不思議な心地がしたことを覚えています。

 

みんなと一緒に居てひとりぼっちではないのに、間違いなく私はその瞬間孤独でした。

 

 

 

 

 

 

私の好きな言葉のひとつに

「どうせ人間なんてみんなどっかちょっとずつおかしいんだから」言の葉の庭より】

というセリフがあります。

 

 

 

セクシュアリティという個性を、セリフ中の”おかしい”という言葉に置き換えたのではありません。ここで言いたいのは、みんなそれぞれ人と違う部分が必ずしも存在するんだ、ということです。

 

 

人は誰しも、マジョリティから外れた部分が存在する。同じ人間は存在しない。何十億という存在するすべてが違う人間です。当たり前ながら。

 

 

趣味でも考え方でも性癖でも、それぞれが少しずつおかしくて、狂っている。誰にも言えない孤独をみんな少しずつ抱えてる。

 

 

この言葉は、そんな自分のなかにある孤独を和らげてくれる言葉です。

 

 

 

 

 

私がXジェンダーと知ったあの日のように、

自分のセクシュアリティの定義が存在すると知ると、大げさのように聞こえるかもしれませんが、自分がこの世にいることを肯定されたような安心感を感じます。

 

 

自分のなかのもやもやが、Xジェンダーという言葉で表現された時は本当に不思議な、少し世界が広がったような気持ちになりましたし、自分でも知らず知らずのうちにストレスを抱えていたことを、そこで改めて自覚しました。

 

 

 

今では自分が女性に生まれたこと、しかし性自認Xジェンダーであること、すべて含めて誇らしいと胸を張れます。

 

 

 

 

この文章がそのような同じ気持ちを抱えた人たちの気づきになれると幸いです。